R5.12/16
朝から雨がひどくて、耳の調子がちょい悪い。
四六時中耳鳴りだけど、天気が悪かったりホルモンバランス崩れる時期は音が大きくなる。
2年前の最悪期に比べたら全然だけどね〜😅
今日は娘の誕生日✨
私が母親になれて13年。
いろいろあったな〜
子供と一緒に、青春をやり直すって、なんかどっかで聞いた言葉があるけど
やり直すまでいかずとも、自分の頃は…と思い出すことは増えたかな。
今ちょうど中1だから、中間期末〜とか、部活が〜とか、友達関係が〜とか。
いろいろあるよな、中学生も。
娘を妊娠していることがわかったのは、大学4年の春。
生理がこないのと頻尿になったことから
友達が“妊娠したんじゃない?”とふと言ってくれて
彼氏(旦那さん)と一緒に簡易検査して
もうね、尿かけた瞬間に2線(笑)
ちゃんと時間たってから見ても結果変わらずで
一瞬、私の方がフリーズした。
けど、彼氏(旦那さん)が間髪入れず、喜んでくれた。
一瞬も悩む顔をしなかった。
それが救いだったし、今でも尊敬してるところ。
内緒だけど(笑)
大学の友達は、福祉系だったからなのかみんな気持ちが優しくて、応援してくれて
両親も何も反対なく、結婚と出産を許してくれた。
3年時に実習もすべて終わっていたから、単位がとれないこともなく
私の体質から8〜11月まで入院になっても、12月に出産して、3月に卒業前試験を通過すれば卒業できると先生が言ってくれた。
本当に、周りの人にも、タイミングにも、恵まれていたなと思う。
もちろん、旦那さんにも本当に、感謝。
大学4年のうちに、妊娠結婚出産を経て子育ての道になったけど
周りは新社会人になって、孤独を感じることもあったな。
でも、悩みはあれど、楽しかった。
楽しんで育児する、と決めていた。
娘が出会ってきた人も経験も、いいも悪いもすべて必要だったと思うし
おかげさまで、健康に、出来すぎなくらいいい子に育ったなと思う🥳
文章で書くとまとまりすぎてるけど
でもまあ、いろいろあった、うん。
1人だけ、結婚決まった時に
“さやかさんは、後悔してないの?”と直球質問をしてきた旦那さんの友達がいるけど
後悔は、なかった。
むしろ、夢だった。
と、その時も答えたんだけど。
今も改めて思う。
私にとっては、“仕事”は特にこだわりがない。
生活のため、であればどんな仕事でもやるし、働いてるメンバーが好きなら長く続けられる。
“なりたい職業”は、まああるにはあったけど、夢と語るには、熱意や願望も不足している。
けれど、“自分の家族を作ること”だけは
子供のときから、ずっとずっと欲しかったことだった。
父親が歯医者というだけで周りからの勝手なイメージを受けたり偏見されることもあったし(悪気なくやられるからまた質悪いのだ。)
父親本人も自分の理想や価値観を押し付けてくる人で、人の夢は“くだらない”だの“そんなの生活してけないだの”自分が良しと思うもの以外は否定するし
自分の好みしか信用していないから、学校でみんなが見てるようなテレビ番組は見せてもらえなかったし
派手好き(一品物好き)で、目立つの大好きで、それによる被害を私達がうけてることには気づかない鈍感っぷりと、目に見える価値に重きを置いた説教が多くて
他にも大事なことってたくさんあるじゃん、と、内心“かわいそうな大人だな〜”と思いながら育った。
母親は母親で、理論的、言葉が強い、自分の美学に反することは容赦なく否定する(顔に出まくる)、子供を思ってと言いつつ自分の思い通りにしたいのバレバレなどなど…
で、甘えるとは無縁だったし(お母さんと仲良しな子羨ましかった…)
母親が秘密主義、誰も信用しない主義で、そういう母を見てると逆に私も大人を信用できなかったし
感情のコミュニケーションがとれないから、自分のどんな感情にも◯、を出すことができなかった。
6つ離れた兄は、小さい頃仲良かったし優しくてなんでもできる天才型だったけど
中学受験後、毎日都内に通うようになって顔を見る機会が減り
気づいたら、私が小学校高学年の頃には家庭内で暴言暴力、“殺してやる!”と包丁出してきたり、よくわからない数式を暗い部屋でぶつぶつ唱えたり1人で笑ってたり、そういう人になってしまっていた。
その影響で、人は変わってしまうということを高学年ですでにトラウマとして抱えてたし(ということを大人になってから気づいた)
家に帰ることが義務なんておかしい、家族だからってなんで一緒にいなきゃなのか、ということを考えながら育った。
(だけど、兄のことは恨むとか嫌いとか、そういう感情じゃなくて、ただただそうなってしまったことが悲しかった、という感情が強い)
姉は優等生でなんでもできて、先生からも学級委員を頼まれるほど信頼も厚く
習い事や学校も被ってたから、周りから比べられることも、自分自身で比べてしまうことも辛かったし
頑張っても上には上がいることを知ってたし(それは良かったことだけど)
主に母親と姉が価値観があっていたから(そして姉が余計なことに口出しするから)、余計に家族内に理解者なんかいないと感じたし
親子でも、友達と同じで相性ってあるんだなって早くから悟って育った。
(姉のことは申し訳ないけど、嫌いというか苦手というか合わないというか、距離離れてないと無理って思ってる)
“この家に私をわかってくれる人はいない”
とわかったのは小学校高学年。
でもそれで
外に私を理解してくれる人がいるはず、と思えたところは私のいいところだと思う。
友達は大事にしたし、尊重もした。(つもり)
でも大事にした分、相手からも同じように思われないのなら、必要ないと思えたし(これは自分を守るために必要なことだと思う)
今思い返すと“好奇心”“尊敬”“憧れ”とかの分類もすべて“恋愛の好き”と勘違いしてたり
さらに隠れ依存のようなものもあって
早くからいろんな恋もしたけど
だからこそ“自分に合う人”が、早くからわかっていたようにも思う。
そうやって、外でたくさん傷ついたり、失望したり
でも、また光があってっていうことが経験できたのは
家族に居場所がなかったからこそいつも本気だったし
自分の家族を作っていくことは、私の願望だったんだなって
思うんだよね😏(急に投げやり笑)
自分に足りないことなんてまだまだたくさんあって
でも、別に完璧になろうとは思わないし
自分の今までしたきたことは、今現時点では“良かった”と思えるけど
またマイナスの波がくることはあるだろうし
だけどね
とりあえず、私、頑張ってきたじゃん!
って思う、ほんとに。
こんだけボロくそ言ってるけど
親のことは、尊敬も感謝もしてて(同じくらい反面教師にしてるけど)
今は関係性はまあまあだし
自分が親になってみてわかることもあるし
誰も完璧じゃないよねって許せるし
あ、でも姉とは折り合い悪いけど(笑)
まあとにかく
頑張ってきたよ、私。
そして、関わってくれた人達もみんな。
ありがとうございます!!!!!
ってことを、改めて思う日👍