幼少期から、私は“大人”が嫌いだった(笑)
なぜ上から決めつけのように言われなきゃいけないのかという、疑問と反発を持っているタイプで
この大人がいうことは耳を貸す価値があるのかどうか、言動をじっと観察している子供だった😂
恐らく、家庭環境や、幼少期から習い事をやらされすぎた影響だと思っているのだが
“先生”という存在を好ましい存在だと、思ったことがなかったなぁ🤔
だからといって荒れたりするわけじゃなかったけど。心を開かないってだけで🫣
中2の頃に塾で出会った大学生の先生だけは
“ごめん!”がちゃんと言える人だったし、指導というより、“あ〜、そんなこともあるよねぇ”とまず否定をせず聞いてくれる場面を見て
自分から話してみたいと思う先生だった☺️
自分もある程度成長していたタイミングで出逢えたのも良かったのかも✨
もともと勉強は、好きでも嫌いでもないけど上二人が成績良かったので、“私もやっとくか〜”みたいな感じだった🤔
中学の頃は、家庭環境最悪だったし、他にも思春期なりに大切にしたいことや悩みもあって、勉強がテキトーになってる時期もあった。
だけど先生に出逢って、まずいろんな話をして心に余裕が少しだけ生まれたら、勉強に集中することができた☺️
教え方よりも
まず第一に、勉強へ気持ちが向かうための、“ゆとり”みたいなものが必要なんだなと、その頃思った。
ほんで(前置きながっ)
マ◯◯◯で失敗した私は、自分にできることはなんだろう?と考えた結果
大学1年の冬から、塾講師をすることにした。
大手の所じゃなくて、“勉強が苦手な子向け”と謳っているところ。
塾講師と言っても、1対何十人向けに授業をするタイプじゃなくて
一人で個別授業を6人くらい見る感じのアットホームな塾。
対象は小学生〜高校生まで。
中学生までは全教科、高校生以上は英語専門で見た。
同じ時間帯に、小2の国語、算数と中3の数学と高2の英語、英検対策を見るという無茶振りもあった(笑)けど、楽しかった☺️
勉強が苦手な子がくるから、基本的に基礎を徹底していくのだけど
人懐っこい子、小生意気な子、ボーっとしてる子、大人な子、実に様々で
一人一人対応や声がけを変えたり
元気なさそうなら“今日は雑談多め!一問解けりゃok!”と決めて話を聞いたり
発破かけた方がやる気出す子にはゲームのようにしたり
ひとコマひとコマがライブで、都度考えながらやらなきゃいけなかったから、大変だったけど面白かったなあ✨
自分の小さい頃の感覚をその頃はよく覚えていたから
決して上から何かを教えるのではなく、一緒に解くスタイル(たまに子供と一緒に悩んだりしたけど笑)
“大人”ではなく、“人”として、尊重するように心がけていた。
子供達は、“先生の授業おもしろい!”“先生と話すの楽しい!”と言ってくれて、すごく嬉しかったし、可愛かったし
キラキラ輝く素直さにいつも感心させられていたのはこっちだよ、と今でも思う🥹
悲しい表情で塾にきて、“親にこう言われた”“学校でこんなこと言われた”“こんなことができない”と、傷ついたり自信をなくしている時もあった。
まず、それを話してくれたことに有り難いと思う。
そして話を聴く。
ぽつ、ぽつ、と話してくれて、うん、そっか、と聞いていると
“先生、ありがとう。勉強しよ!”と生徒から言ってくれる。
そういう時、“強いなぁ”と改めて感心する。
話をしてくれたあと、集中する顔を見て、こちらこそ気をシャンとしないと!と思わされた。
たくさん学んだ塾講師のお仕事は
実習が始まるタイミングで辞めてしまったけれど
あの歳でやったからこその近さで、わかりあえることもあったし
今振り返ってみても、“忘れてはいけない感覚”をちゃんと持てていたと思うし
自分の大切にしたい“信念”のようなものが、一つ、明確になったお仕事だった♡